高萩 美穂
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初めましてliving訪問看護ステーション管理者の高萩美穂と申します。
現在に至るまでに急性期や慢性期、回復期、在宅医療での看護を学んできました。
病院で勤めていると「いつ帰れますか?」「早く家に帰りたいです。」といったことをよく耳にします。身体が元気になれば思い出のつまった穏やかな時間が流れる家に帰りたいと思うのは当然です。しかし、継続的な内服管理、家族介護力の低下、認知機能低下、食事摂取量の低下などから入院が長期化してしまうこともあります。
私は家で待ち受ける側のサポートをよりアピールできれば、さらに効果的な地域連携をとり安心して生活できることを提案できれば、患者様の思いが叶うのではないかと思い訪問看護の道を選びました。
健康管理、ご家族様へのサポート、ターミナル期の苦痛緩和など自宅でできる多方面からのサポートを行い、ご利用者様の生活を地域全体で守っていきたいと思います。
ありのままの生活、家族と共にあるあたたかい環境、リビングルームに家族全員が自然に集まっているような、そのような在宅生活が送れるよう訪問看護師として頑張ります。
- 在宅で大切な人を看とった経験から学んだこと -

私はお父さんが大好きでした。
お父さんは100歳まで長生きして、私が介護して、
自宅で好きな時間を過ごしてもらえるとばかり思っていました。

ある日突然病気がわかりました。余命は短命と知りました。
このような仕事をしていると治療の効果や今後起こりうる状況など、現実的なことばかり考えてしまい、
お父さんに寄り添うことができませんでした。
なぜなら、疾患的に治療の効果は期待できず治療による時間さえももったいないほどの余命でしたので。
家族の間では意見が分かれていたため、トラブルがおき、お父さんさんとの時間は短かったのに私は退きました。
私は神様に祈りました。苦痛のない幸せな時間を過ごせますように。

次にお父さんに会いに行った時には、せん妄なのか、脳にも転移してしまっていたのか、私の認識もできていない状況でした。
話をしたくても返事がなく、お父んさんお父さん美穂だよと何度も呼びかけましたが。
末期状態になり私も介護に参加して家族4人で介護が始まりましたが4人いてもみんな疲労困憊、寝不足の日々、食事をとったりお風呂に入ることもできない日々でした。
ですが、お父さんがしようとすることを静止はせず危険を承知で全て叶えてあげようと家族で協力していました。
立ち上がって座って、頻回なトイレに夜中は寝ない。すべてみんなで優しく声をかけて誘導しました。

在宅でお父さんと最期の時間を過ごす中でたくさん話ができました。
ありがとう、大好きと何度も何度も伝えることができました。病院ではなく自宅でお父さんとずっと一緒に最期を過ごせて本当に良かったです。
息が止まる瞬間はお母さんを見つめて涙を流していました。
お母さんは最期に自分をみつめてくれたととても喜んでいました。
令和3年12月31日 他界
湯灌は家族4人でさせていただき、冷たい身体を温めて綺麗な身体にしてあげました。

お父さんはまだまだ生きていたかったのでとても恐怖だったと思いますが、
そんなお父さんの側でお母さんや2人の姉が支えてくれていたためお父さんは幸せだったと思います。

大切な家族を看取るということの時間を過ごす苦しみを経験しました。
また、在宅のすばらしさも改めて身をもって経験しました。
この大切な感情を忘れずに、患者様ご家族様にとって訪問看護師として寄り添っていきたいと思っています。